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2017年04月11日

シーホークスが大学短距離走界のスターを獲得

https://nfljapan.com/headlines/17692

大学短距離走界のスターというくらいだから誰かと思ったらマジで知らない選手。自分の記事を検索したところ名前はあったが記録レベルが低いため全く触れていない。

記事に200m、400m、800m走者というかなり珍しい選手なので本当にトップ選手であれば知らない訳がない。自己記録を調べたところ100mが10秒97(+1.6)、200mが21秒33(+1.4)、400mが45秒91、800mが1分49秒35と日本の大学でもトップになれないレベル。
オールアメリカンに選出されたとのことだが、オールアメリカンは大したことない選手も多い。しかも彼は4x400mリレーの1人として選ばれている。リレーメンバーの実績としては2014年と2016年の室内NCAA、2015年と2016年の屋外NCAAのチャンピオン。2014年と2015年はVernon Norwood、2016年はMichael Cherryがリレーメンバーだった。

マーキス・グッドウィンの名前が出ているが、彼は有名なので特に触れない。アドリー・ジャクソンが五輪予選に出るほどの足自慢と書いているがもちろん、五輪の予選には出ていない。ここで言う五輪予選は五輪選考会を指していて、全米選手権のこと。ちなみに彼は10位だった。彼の名前をググるとアメフトの記事ばかり引っかかるので恐らくそちらのほうが有名。
posted by クライシ at 20:53| Comment(2) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

真央引退 ネットで「国民栄誉賞を」の声 吉田沙保里に“助っ人”要請も

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170411-00000036-dal-spo

何度かフィギュアスケートの記事は書いたことあるが、ちょうどいいタイミングなのでまた書く。
以前、このような記事を書いた。

スポーツにおける競技ごとの選手の凄さ

感情的になっているので何が言いたいのか分かりづらい。コメントでも論点がズレているのではという指摘もあり、今読むとその通りだと思う。私の書きたいことをズバリ言い表しているコメントなのでそのまま引用する。

どの世界でもトップクラスになることが難しいと述べていらっしゃる方がおりますが、それは論点がズレていると感じます。もちろん羽生選手は一般人を凌ぐ努力をされてるでしょうし、賞賛に値する結果を残されています。しかし、あくまでこの記事の論点は「その他の分野を包含して評価をする場合に、日本のマスコミならびに世間が与えている評価は正当か」という点です。私はその論点で言うと、世界的にメジャースポーツでトップクラスの成績を残した選手と同等もしくはそれ以上の評価を与えることに違和感を覚えます。我々一般人から見て羽生選手が大した功績を残していないということは決してないのですが、それ以上に賞賛に値する選手をマスコミの印象によってないがしろにするのは偏重だ、ということだと思います。
Posted by 星 at 2016年03月23日 23:17


もう1つ書きたかったことはこれ。

また選手に順位を付ける評価方法が全く客観的とは思えない、これはフィギュアスケートのファンを自称する人ですら八百長八百長騒いでいるのだから一般人が見て分かるだろうか。金を積めば優勝できるとか言われる競技、何が楽しくてこんなのを見てるんだろうか。嫌いな選手が優勝すれば八百長、好きな選手が優勝すれば実力、ファンがそんなことを言うのである、競技としてまともだとは到底思えない。これはファンの言うことが正しいかどうかでなく競技結果よりもこんな戯言がまかり通ってしまうことがまともじゃないってこと。


私はフィギュアスケートの採点に詳しくないのでこのようにかなり乱暴に書いているが、実際は客観的な採点に基づいているのかもしれない。しかし、記事に書かれたコメントはこうだ。

八百屋は過去にどのスポーツにも存在しましたし、フィギュアはハッキリと数値にできない芸術感覚を伴う審査がなされるので、常に万人が審査に納得しないのは仕方ないことでしょう。しかしながらあなたの判断はあまりに独断的で敬意を欠いています。フィギュアに球技や陸上と同じくらいの明確な基準がないから意義が見出せないと言うのは、ただ単にあなたに芸術的感性が全くないことを露呈しているに過ぎません。芸術界に明確な点数による評価は存在しますか?明確な点数による評価が付かないモナリザやゴッホの作品がこれだけ価値を認められているのはなぜだと思いますか?客観的に価値を決められないものには価値がないと言うのは非常に野蛮で原始的な考え方です。


ある1人の意見に過ぎないが、フィギュアスケートが客観的な採点ではなく、人それぞれの印象に基づいて採点されているということを示唆している。もちろん、これは1人の意見で実際にそのような採点をしているか知らない。この問題を芸術的感性がないで片付けるのなら、フィギュアスケートで1位を決める事自体意味が無いのではないだろうか。モナリザやゴッホの作品の価値は1位、2位を決めるものではない。それこそ人それぞれがゴッホやモナリザに限らず自分にとって価値のある物を認めている。セザンヌの絵画が最も高額で売却されたからと言って最も芸術的に優れる絵画であることを意味しないことと一緒だろう。

フィギュアスケートがどの方向に向かっているか知らないが、他のスポーツは曖昧な要素を排除する方向に向かい、多くの競技でビデオ判定が導入されている。曖昧さを放置すれば、同じ人間たちが同じパフォーマンスをしているのに、違う場所でやったら違う順位になるということが起こり得る。

ちょっと気になって「フィギュアスケート 八百長」で調べてみるとこのようなサイトが出た。

やっと理解できた!漫画でわかるフィギュアスケートの異常採点 「キムヨナは失敗しようがしまいが必ず高得点が出る」その理由

ここで書かれている内容が正しいのか正しくないのか全く分からないが、もし正しいのであればフィギュアスケートは採点に問題がある競技であり、逆であれば上で書いたようにファンが八百長と騒ぐ競技であるということだ。そもそも、本当に芸術的感性を認めるのならば、例え好きな選手が2位になろうが納得できるはず、なぜなら万人が納得できる審査なんてないことを分かっているから。人の芸術的感性を批判するのはおかしな話にならないだろうか。
posted by クライシ at 20:05| Comment(6) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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